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The Artist / 禮生について


一円相を観る人 - アートプログラム「言霊のレストラン」より
一円相を観る人 - アートプログラム「言霊のレストラン」より

禮生のアートが誘う、美的体験 

 

 禮生は、アートを観る人とアートとの精神的な結びつきを演出する、形象的な書の表現者として知られています。

 

 代表作「円相(Ensou)」に見られるように、禮生は、シンプルな直線、曲線、円、といった世界中の誰もが理解できる図形を、重要なモチーフとしています。その筆致には、日本人に親しみ深い書道(Shodo)の古典的技術による美しさだけでなく、西洋の方々にも親しみやすい抽象画としての美しさがあります。

 

 そのような外観的・普遍的な美を入口として、さらに奥側へと禮生の作品は誘います。「禅(Zen)」の世界を彷彿とさせる、一瞬一瞬の「今」が凝縮されたその作風は、観る人に深く結びついている哲学的な美しさへと味わいを深めていく時空間を演出します。

アートの主役は、その目撃者です 

 

 それらの表現を支えるものとして、禮生は、ルーツである日本において育まれてきた「禅(Zen)」を自らの人生で体現し続けています。生命があるがままに捉える感覚を「呼吸(Breath)」に任せ、「書(Sho)」の技法を用いて、アート作品へと昇華させています。

 

 その原体験として、禮生は20代半ばで抑うつ状態を発症し、後に1年間の静養を余儀なくされました。しかしながら、1日5時間、3ヶ月もの間、いかなる期待も抱かずに書に没頭するという時間を過ごし、この症状を完治させました。そこにあったことは、時折産み出された「美しい」と感じる一本の線を、何十分か、ぼうっと眺めることだけでした。過去や未来といった時間軸から心地良く切り離された、「今」この時を、心ゆくまで味わったのでした。

 

 制作者の自我を越えたような偶発的(かつ必然的)な書は、鑑賞者の心の状態をも映し出す鏡となります。そして、目に入ってくる美しさに、「あぁ」とため息をついて無防備になれば、心の内側に光が差し込み、自明の論理(答え)が浮かび上がります。アートの恩恵を受ける主役は、アートの目撃者、ひいては自分自身の目撃者なのです。これこそが、禅(Zen)の世界であり、禮生が産み出す、書禅一味のアートの原点です。

「あぁ、これだ」で繋がる - JAPAN EXPO in Parisにて
「あぁ、これだ」で繋がる - JAPAN EXPO in Parisにて

世界基準の健康・美の追究に貢献します

 

 フランス・パリでのJAPAN EXPO出演を皮切りに、ニューヨーク、サンタフェ、マイアミ、プサンなど海外のアートフェアで出展を重ねながら、禮生が提示する芸術は世界中にファンを増やし続けています。

 

 たとえば、医師、心理学者、外交官、柔道家、そしてSDGs(持続可能な社会発展)のビジョンを持った経営者やコンサルタントなど…目に見える物質的な豊かさの追求にとどまらず、精神的な豊かさの醸成に惜しみなく投資し、社会に貢献している人達から歓迎されています。

 

 一見無意味なことに魅力を感じたり、それを経験することによって精神的バランスを調整することができるというのは、人間にとって本来の機能かもしれません。一枚の紙を置き、筆に墨を含ませ、いのちが赴く方向へと、円や直線を描く ― 禮生は何千、何万回と、この儀式に真摯に取り組んで来ました。この儀式は、人間の社会活動には無用に見えるかもしれませんが、これこそが禮生の生き様です。

 

 展覧会、ワークショップ、そしてライブペインティングの現場で、「禅がここにあった」、「私が探していた世界はここにあった」、「ああ、これだ」という驚きに似た声をいただきます。禮生はこういった作品制作だけでなく、海外、日本全国を渡り歩いてのワークショップ、アートパフォーマンスを通じて、人と人との間で健康的な熱量の交換を実感できる場づくりに力を尽くして来ました。

  

 禮生は、視覚化された美しい景色を提供することはできません。しかし、アートを観る人それぞれが持っている世界観が浮かび上がることを信頼して、制作を続けています。禮生は、人は真の美しさの前に立ったとき、恐れやしがらみを越える許可を自らに与え、精神性をより高いレベルに引き上げていくと考えています。禮生は、人々の生活を豊かにする芸術作品の創造に、そのキャリアを捧げるコミットをしています。

禮生近影 - 灼熱の空の下、ホワイトサンズ国定公園
禮生近影 - 灼熱の空の下、ホワイトサンズ国定公園